
23日に膵臓(すいぞう)がんのため死去した大手芸能事務所、サンミュージックプロダクション(東京・新宿区)代表取締役会長の相澤秀禎(あいざわ・ひでよし、本名・相澤與四郎=あいざわ・よしろう)さん(享年83)の通夜が28日、東京・青山葬儀所で営まれた。“アイドルづくりの名人”と呼ばれた故人をしのび、芸能人ら約1500人が弔問。かつて同事務所に所属し、結婚を機に芸能界から引退状態の桜田淳子さん(55)も、約16年半ぶりに公の場に姿を見せた。
【写真で見る】涙が止まらない松田聖子と娘の神田沙也加 続々と詰めかける有名芸能人。1500人が弔問した相澤さんの葬儀で、ひときわカメラのフラッシュを浴びたのは“一般人”の桜田さんだった。
午後6時に通夜が始まり、約1時間20分後、タクシーに乗って現れた。肩の少し下まで伸びた黒髪に、黒縁のめがねをかけている。アイドル時代より少しふっくらしたものの、オーラを放った。
桜田さんが公の場に姿を見せたのは1996年12月15日、都内で行われた統一教会クリスマスフェスティバル以来、約16年半、実に6008日ぶりだ。足早に祭壇に向かうと相澤さんの遺影を見つめながら、手を合わせた。関係者の計らいでBGMには代表曲「わたしの青い鳥」が流れた。
焼香後には関係者の列にいた相澤さんの長男でサンミュージックの相澤正久社長(64)と抱き合った。控室で同じ事務所に所属していた早見優(46)、香坂みゆき(50)、太川陽介(54)と顔を合わせると「みんなと話したいから私、もうちょっといるわ」。その場に残って談笑した。この様子を相澤社長は「同窓会になっていましたね。お袋(相澤会長の妻、てるさん=85)もその姿に喜んでいました」と、うれしそうに振り返った。
桜田さんは、72年にオーディションで合格すると相澤さんの自宅に下宿し、翌年にデビューすると森昌子(54)、山口百恵さん(54)と「花の中三トリオ」として大ブレーク。女優やバラエティーなどでも活躍し、“相澤チルドレン”の代表格の1人だった。
90年いっぱいで事務所を退社したが、桜田さんと相澤さんとの絆は揺るがなかった。92年に桜田さんが統一教会に入信していたことが公になり、その後、相澤さんが桜田さんの親族を通じて200万円の壺を買っていたことも発覚。世間の目は相澤さんに集まったが「淳子の純粋な気持ちは分かっている。彼女のためと思って私が買った」と“娘”をかばった。
同年、桜田さんはソウルで行われた統一教会の国際合同結婚式に参加。その後、芸能界の表舞台から身を引いて夫の転勤に伴い福井、兵庫、東京と居を転々としたが、常に気にかけて優しい言葉をかけてくれたのは相澤さん。数年前にも両者は会っていたという。
この日、約1時間滞在し、仲間と“恩師”をしのんだ桜田さん。今や一般人で報道陣を避けてもおかしくない立場ながら、笑みを浮かべて報道陣の前を通ってタクシーに乗り込んだ。コメントは発しなかったが、堂々と報道陣の前を歩いたのは、自分を育ててくれた相澤さんへの恩返しでもあった。
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