毎日多くの人で溢れかえっている首都・東京。そんな東京にも、そこで暮らす都民さえ知らない謎やさまざまな歴史が詰まっている。そこで、5月10日に発売された『意外と知らない“首都”の歴史を読み解く! 東京「地理・地名・地図」の謎』(谷川彰英/実業之日本社)から、東京の地理や地名、地図に隠された意外なエピソードを紹介していこう。
関連情報を含む記事はこちら まず、あの有名なマンガ『こちら葛飾区亀有公園前派出所』(秋本 治/集英社)の舞台となった「亀有」。両さんの銅像が飾られていたり、限定グッズを販売しているところもあり、今では知らない人などいないほど人気の街になった。そんな「亀有」だが、実はかつて正反対の「亀なし」と呼ばれていたのだ。『義経記』のなかでも「亀なし」という地名が登場しており、「亀無」や「亀梨」と表記されていた。また、「成す」が転じて「なし」になったという説もあり、その土地一帯が亀の甲羅のように小高い丘状だったことから、「亀の形を成している場所」。「亀成す」となったと言われているそう。では、なぜ「亀有」になったかというと国図を作成していた幕府の担当者が「亀なしでは縁起が悪い」と言ったからという説が有力なんだとか。こんなふうに、験担ぎで地名が変わっていなければ、今頃あのマンガも「こちら葛飾区亀無公園前派出所」になっていたかも?
また、昨年創建時の姿にリニューアルし、人気スポットとして賑わっている東京駅。国の重要文化財にも指定されている東京駅の特徴といえば、やはりあの赤レンガ造りだろう。でも、実は計画当初、レンガではなく鉄筋コンクリートの駅舎になる予定だったことはご存知だろうか? この計画が立てられていた1890年当時、コンクリートは最先端の素材。近代化の象徴としては、もってこいだったのだ。この計画の指揮を執っていたのは、明治・大正時代において建築の第一人者であった建築家・辰野金吾。しかし、彼もさすがにコンクリートを扱った経験はなかったので、神戸にコンクリートで建てている建物を視察しに行った。そこで、ドロドロしたセメントの状態を見た彼は、地震の多い日本だけに「こんなドロドロした素材では心もとない」と感じたらしい。この出来事があったからこそ、現在も人々に愛されている格調高い赤レンガ造りの東京駅が生まれた。
そして、やたらと港区に集中している大使館や領事館。今では、港区内に80を超える大使館や領事館があるのだが「なぜ大使館は麻布のあたりに多いのか?」と疑問に思ったことがある人も少なくないはず。実は、明治維新後に大名屋敷の跡地が都合よく空いていたことや、このあたりの寺院が幕末から外交使節団の宿泊所として使われていたことが関係しているそう。特に場所を定めたわけではないが、各国の人々は母国と行き来する横浜港が近いことを好み、政府は公館の場所が固まっていたほうが警備や監視しやすかったので、お互いの利害が合致したのだ。
他にも、都心に残る愛宕山が切り開かれずに今なお残されている理由やもともと東京は23区ではなく、50区から始まったこと。江戸前の定義や銀座に住所がない場所が存在する理由など、興味深いエピソードが満載。この本を読めば、今までとは違った東京の姿が見えてくるかも?
文=小里樹
(ダ・ヴィンチ電子ナビより)
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